随分前の話だが、FC岐阜のJリーグ開幕戦で甲府まで行った時のバスの中で読んだ雑誌に、フロンターレ川崎と浦和だったかな?応援リーダーしてるサポーターのインタビューを読んでガッカリした。
ガッカリした部分は、バックスタンドで応援の歌を歌わずに写真撮ってる人が信じられないとか何とか。
そりゃ勝手じゃん。
サポーターは全員歌を歌わなければならないのか?
そう言うのはエゴだと思うし、サッカー観戦の観客動員には悪い言葉だと思うんだけども。
サッカーファンってのは、どうもそのチームに対して詳しくないと「ファン」や「サポーター」って名乗ってはいけないような空気があって、それはイカンと思うんですよ。
野球ファンは、そのチームの結果や順位だけ気にしてるだけでファンって名乗れるのに、サッカーは選手がどうのこうのとか語れないといけないような。
前述の応援リーダーなんだけれども、そういったグループがあり、応援をリードしてくれる存在ってのは非常に助かる事だし、盛んになる事は良い事だ。
だけど、それを強要するのはどうかと。
昨年のクラブワールドカップで、誰か解説者が浦和の応援スタイルを酷評して話題になったのを思い出す。
『試合展開そっちのけで歌を歌う。』
悪い言い方をすればこんな感じ。
『サポーター全員が揃って声を出し歌い続け、チームを後押しした。』
良い言い方をすればこんな感じ。
僕は正直どっちでも良い。
野球観戦行っても(ナゴヤドームにまだ行った事ねぇ…)、気が向いた時っていうか、ココは一発頼むぜって時は選手の応援歌歌うけど、その他の時は、テレビ観戦並にあーだこーだ言って楽しんでる。
FC岐阜を観に行く時も、そんな感じ。
歌を歌おうが歌わないが、そんなのコッチの勝手だし、歌わないからファンじゃないって言われる筋合いもない。
そこでファンかどうかの線引きをすべきではないと思う。
野球の応援してる人で、野球観ずに観客席の方をみて応援をリードしてる人こそ、騒ぎたいだけで本当に野球ファン?って疑ってしまう時もあった。
さて、FCバルセロナのロナウジーニョがいよいよクラブを去る時が来たようです。
ロナウジーニョのプレーを見てバルセロナのファンだって言ってた人の大部分は、ロナウジーニョの移籍先のファンになるだろうし、もしくはバルセロナのファンと言うのを辞めるだろう。
それはそれで良いと思うんですよ。
引き止める必要も無いし、わざわざツバ吐いて去る必要も無い。
一途に応援し続けなきゃいけない法律がある訳でも無いし。
僕もロナウジーニョは大好きだけど、今はFCバルセロナってクラブの哲学とか歴史から溢れ出るモノが好きになったから、彼が去ったところでバルサの応援を辞めるつもりはない。
これからもロナウジーニョも再起を願うし応援するよ。
ま、移籍先クラブにもよるけど。
ベッカムもそうだったな。
マンチェスターユナイテッドから移籍したのがレアルマドリだったから、とてもじゃないけど声に出して応援するわけにはいけなかったけど、彼の活躍とかは嬉しかったですよ。
※クラシコ以外で
今はアメリカに渡ったから、また声を出して応援できる状況だ(笑)
イングランド代表復帰出来たのは良かったね。
でもイングランド、EUROに出られねぇんだよな…
ま、話は逸れたけど、言いたいのはファンを名乗るのに何のスタイルも知識も必要は無いはずだ。
ええっと、この記事書いてる間に、FC岐阜がアウェーで福岡から5分間に4点奪った。
強ぇー
今年は10位で良い、3年後に5位で良い、5年後に昇格争いしてくれれば良いと思ってた俺は、FC岐阜の能力を過小評価しすぎてたのか?
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