ここ十数年くらいですか?
結果も出せなかったのに、自分は頑張った、努力したって自分で言う人にあまり好意を持てません。
もちろん、自分でも出来る限り使わないようにしています。
時たま使っちゃいますが、そういう時は100%な言い訳の時にしか使いませんから、心の奥底には、頑張り・努力が足りなかった、怠けたって自分でわかってる時です。
多くの失敗者の努力や頑張りってのは、成功者の努力・頑張りには達してないんですよ。
成功させる為には、まずはそれを当たり前の事柄にし結果が出せるようになって、その先が努力や頑張りな訳ですよ。
自身、高校の卓球部の練習は、相当頑張って努力してたと当時は思ってました。
結構、目一杯。
自分より強いヤツは、自分がやってた練習時間・練習量・質、それは当然のようにやってましたわな。
根本的なセンスが最初っから負けてれば、そいつ以上の時間・量・質を上回らなければ、追い付く事すら出来ないのに、自分は目一杯頑張ったんだと思ってた。
自分より強い奴らは、そこまでの練習はやって当然でしょ?って、もっと先の練習をしてた。
もちろん、自分が勝てた相手は、自分がこれくらいは当たり前でしょ?って練習を頑張った練習と言ってた訳です。
そういう事がわかってきたのは、20代後半~30代前半?
仕事でも、出来る人は当然の事をしてるだけなんですよ。
そこまでを頑張ってる・努力してるって時点で、仕事の出来る人に並べやしないわな。
結果が出せてないうちは、当然の事すら出来てない、頑張る・努力するって域に達してないと思うようにしています。
まぁ、気軽に頑張った・努力したって使っちゃうケースだと、ダイエットとか貯金とか。
成功してる人は、それは当然のようにやれてますよ。
それを頑張る・努力するって感じないように、頑張って努力しなきゃね(笑)
イチローは一番最後まで練習をしてた。
遅くまで頑張ってるね、と話しかけると、当然の事ですからと答えたそうな。
それでも、やっぱ結果が出せない時もある。
そんな時に、頑張ったね、努力したねって言葉は、誰かが誰かにかけてあげる言葉であって、自分では足りないものがあるから結果が出せなかったと反省はしなきゃ。
成功に足りなかった部分は必ずあるはずだから。
根本的に結果を出せるセンスがない場合は仕方がない。
例えば、150キロの速球は、どんな努力をしたって、その根本的なセンスが無ければ不可能ですから。
※最近では技術と努力で150キロは出せる?ならば、この話は155キロで。
自分の根本的な能力不足を認めた上で使う場合は潔し、さほど否定的ではありません。
俺はこんなだけ頑張ってやってるのに、お前は何もしない
嫌いな言葉ベスト5以内確定な言葉です。
多分、自分では20代前半くらいからほとんど使ってません。
使う時は前述の通り、自分が悪いの承知の言い訳の時だけです。
自分が他人の足りない分をわかってカバー出来れば、その物事は上手く成せるんですよ。
他人の足りない所がわかってるのに、自分ではそこを何にもしなかった結果なんですから、自分の頑張りは全然足りないってことじゃないのかな?
多分、その物事をうまく成せた時、成せた人は、そういった他人に足りない分も補って、自分は頑張ったと言わないと思うんですよ。
よくよく考えると、自分と上手くやってけないと思ってたアノ人が、この2~3年、この手の言葉を吐いてないような気がする。
以前は事ある毎に、この手の言葉を発してた。
諦められたのか?
それもあると思うが、最近では、足りない部分がわかってるんだから何かしなきゃ感がすごく出てると思ってる。
ま、だからと言って将来的に、一緒に上手くやってく自信は持ててませんが。
確かに以前よりかは、上手く行く可能性は感じてはいるんですけどね。
上手く噛み合えれれば、良いんだろうけど。
それでもやっぱ、別々になるんじゃないかな?
自分一人でやってけそうにまだ無いって事で、努力してる・頑張ってる域に自分は全然達していません。
まずはそれから。
結果を出した人の頑張った・努力したって言葉は大好きです。
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