今年の自分の御神籤に、伊達政宗の言葉が登場しました。
戦国好きではありますが、伊達政宗って特に興味なかった。
まぁ、岐阜と仙台が遠くて縁がないのと、伊達政宗の活躍した時期が織田信長とズレてるって事が原因ですかね?
信長やその直臣と直接争わなくて、何ぞやと。
※その時代の豊臣秀吉は、もはや織田信長の家臣の羽柴秀吉ではなく、完全に時代の主導権を握ってた秀吉時代と言って良いと思う。
ゲームの信長の野望シリーズでは、東北地方の攻略はどうしても後半になるんで年代的にも伊達政宗がやっかいかと思いきや、伊達家って好戦的なんで、自分が東北攻略時には潰れてる事が多いんですが。
大概、関東辺りで大勢力になってる北条家か武田家か上杉家の家臣になってる事が多いですかね。
まぁ、関ヶ原の合戦の1600年までをメドに全国統一したいって、いつも信長の野望やってるんですが、その頃になると信長時代の猛将達って寿命が来てるんですよねぇ。
だから伊達政宗や真田幸村はゲーム後半に寿命を気にしなくて良い武将として重宝はしてます。
※真田幸村は義理が強すぎて、所属大名家潰して捕まえてもなかなか家臣になってくれません。烈風伝では騎馬持ってるんで合戦では捕まえられない。父親の真田昌幸を序盤に家臣団に加える事の方が簡単ですね。
ま、ゲームの話はさておき、伊達政宗の言葉ですよ。
ちょっと調べました。
伊達政宗の五常訓。
仁に過ぎれば弱くなる
義に過ぎれば固くなる
礼に過ぎれば媚となる
智に過ぎれば嘘をつく
信に過ぎれば損をする
気ながく心穏やかに萬に倹約を用いて金を備うべし
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり
この世に客に来たと思えば何の苦もなし
朝夕の食事うまからずともほめて食うべし
元来 客の身なれば好き嫌いは申されまじ
今日の行くを送り 子孫兄弟によく挨拶して
娑婆の御暇申したがよし
儒教の五常の徳の仁義礼智信を正宗流にアレンジ?って言うかどう受け止めるべきかって事なんですかね?
=====ちなみに五常の徳とは=====
【仁義礼智信】とは儒教でいう五常の徳(人間が守らなければいけない5つのルール)といいます。
【仁】 思いやりの心 憐れむ心がやがて「仁」になる
【義】 世のためになる人としての道 不善を恥じ憎む心がやがて「義」になる
【礼】 礼儀正しいことはもちろんで謙虚、感謝の心 へりくだり人に譲る心がやがて「礼」になる
【智】 正邪を正しく判断すること 善いこと悪いことを論じる心がやがて「智」になる
この「仁義礼智」を体の四肢になぞらえて、四端(したん)といいます。
これに
【信】 嘘をつかないこと 信念・信条を加えて五常の徳です。
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仁義礼智信って言葉は知ってたんだけど、深くその意味を考えた事はなかった。
興味はあったんだけどね。
やっぱもっと知りたい言葉であり、実践してくべき言葉なんだろうか。
伊達政宗の言葉の特に前半は、五常の徳は正しい言葉だろうけど、それに傾倒しすぎるのはアカンぞと。
そんな感じで受け止めました。
好きな考え方だな。
良い言葉を聞いた、良い本を読んだ、それはそれで良いのだけれども、それを鵜呑みにせずに、いかに自分の血肉にすべきかって事だと思うんですよ。
後半は倹約の奨めといわば礼ですかね?
この言葉、非常に気に入り伊達政宗に興味が沸きましたよ。
ま、まずは五常の徳をもっと知らなきゃ始まらないんだけれども。
「元来 客の身なれば好き嫌いは申されまじ」
今時のクレーマーと呼ばれる人らに届かない言葉なんでしょうね。
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